こんにちは、寺島です。
今回は、今の世の中誰もがスマホで何かを発信しているよなぁと改めて実感したお話をしたいと思います。(そして、その弊害も)
先日、有楽町駅から銀座の方向へ歩いている途中、新しいジェラート屋さんに若者がたむろしていました。
彼ら彼女らは、何度もカラフルなジェラートの写真を撮り合い、お店の写真も撮り、お店に並んでいる行列の写真まで撮り、そして「こっちの方が映えるかな?」「インスタで〜さんがこれと同じの食べていた」とか「最近イイね!が多くて嬉しい」と喋りあっています。
そうこうしているうちに、当然ですがジェラートは溶けて彼ら彼女らの手元を汚してしまいました。
一方、僕はランチを食べる時も夜外食をする時も基本的に料理を写真に撮るという習慣がありません。目の前の料理を早く食べたいという食い意地が張っているからかもしれませんが、「運ばれてきた料理をまず写真に撮る」ということが僕の頭には全く浮かばないのです。笑
ああ、あの溶けたジェラートも食べたかったなぁ
ご存知の通り今の世の中 、Facebook、Twitter、Instagram等々SNS全盛です。
これを読んでいるあなたの目の前の人達も恐らく、今スマホを凝視し何かしらのSNSを見ているはず。
そして、巷では
「どうすればSNSでバズるか?」
「イイねを稼ぐためには?」
「映える写真をどう撮る?」
「有名人と絡みたい!」
「インフルエンサー(死語?)になりたい!」
等々、如何にSNSを上手に利用するか?承認してもらうか?お金を稼ぐか?人を動かすか?という話が溢れていて、今この時も人々は手元のスマホからSNSを通して手軽に情報を発信し、SNS世界で少しでも「イイね」を稼ごうと必死になっていることでしょう。
さて、ここであなたに2つ質問をしたいと思います。
- あなたは、1日何時間SNSを見ているでしょうか?
- あなたは「SNSの中の人達は凄い人が多くて自分はとても彼ら彼女らにはとても敵わない」と思っているでしょうか?
Contents
現代は世界が比較対象になっている
はい、きちんと質問に答えてくれてありがとうございます。
正直者なあなたは、恐らく1日の中で非常に長い時間SNSを見ていることに今愕然としていることでしょう。(え?自分がどれだけSNSを見てるか分からないって?iPhoneの人は設定にあるスクリーンタイムで見れますよ。今すぐ見てください)
ちなみに、僕の先週のデータを公開すると
- Twitterを一日当たり約2時間半見ていました。
- Facebookは2分
- Instagram・・0分
- LINE、4分
というデータです。Twitter見過ぎですね。
他のSNSはほとんど利用していない様です。
当然ですが、各SNSを利用している時間が長いほど中毒になっているということを意味します。
以上を踏まえて次のお話。
上には上がいる
当たり前ですが、SNSはネットを通じて世界に繋がっています。
世界最強国家アメリカのトランプ大統領に直接メッセージを送れるし、あなたのお気に入りのアイドルへもメッセージを送れます。
ということで、SNS世界の舞台は言ってみれば世界大会と言えます。
SNS世界で目立つ人、バズる人、フォロワーが膨大な人は極々一部。
ある意味彼ら彼女らは世界チャンピオンなのです。
SNSを見て自分と比較する場合、最終的には世界チャンピオンが相手になります。
これがSNS利用の最大の弊害。
あなただけじゃなく、皆「イイね」やバズることを狙い、多くの人からリアクションをもらえる投稿を意図的発信した結果、それらは必然的に、「凄いこと」「美しいこと」「派手なこと」「羨ましいこと」「面白いこと」になるでしょう。
あなたの身近な人と何かを比較するのなら、小さな向上でも評価され達成感を得られるかもしれませんが、舞台が世界大会であれば小さな向上は相手にされません。圧倒的なスキルと美しさでボコボコにされ、残るのは挫折感や無力感になります。
例えば「美味しい料理を作る」というスキルをあなたが持っていた場合、少しでも美味しい料理なら身近な人からはとても評価されるでしょう。
しかし、SNSを通して発信するのであれば世界には上には上がいるのです。
多くの人は気付いていないかもしれませんが、SNSは勝者総取りの世界です。
一般社会よりも圧倒的な格差が付く世界がSNS世界と言えます。
競争の世界
常に他人の評価を気にする世界がSNSです。
自分一人の独り言を誰からの評価も気にせずSNSで発信する人なんてほとんどいないでしょう。
そこに働くのは競争の原理。
この世界では、同じことを発信しても一方は全くノーリアクションで、一方は圧倒的なリアクションを得られるということが普通に起こります。
まさに、「何を言うかよりも、誰が言うか」
いち早くその「誰か」になれれば、その後は勝手に評価される世界。
すなわち、皆「誰か」になるためにSNS上で競争をしていると言えます。そのための「バエ」だったり、「いいね」稼ぎだったり、「フォロワー数」だったりで凌ぎを削っているのです。
不毛な競争世界
年収、資産額、学歴、社会的地位
皆、これらのモノをよく比較します。
SNS世界ではより顕著です。
僕がよく見るTwitterでもやたらと自称優秀な人やお金を持っている人、知識人がいてびっくりするのですが、彼らも結局は「資産」や「年収」「学歴」「社会的地位」をアピールし自分が上位である!と言いたいのだと思います。
皆、ずっと何かと競争している。
そして、その競争の舞台は最終的にSNS世界では世界大会になっていく。
資産であればAmazonのベゾスが比較対象になったり、社会的地位であればトランプになったりと最終的になっていく。(流石にベゾスやトランプは浮世離れしているだろう・・・と感じると思いますが、TwitterではよくGS出身とかハーバード卒とかGAFAM出身とか言っている人がいて、その比較論をエスカレートさせれば最終的にベゾスやトランプが出てきます 笑)
競争の世界にいる限り終わりはありません。
いつも「何か足りない」と思い続けながら生きていくことになります。
年収1000万円でもまだ足りない・・・
資産一億円でもまだ足りない・・・
果たして私たちはどこまで競争するのでしょう?
「成功」と「幸福」(成功は幸福を約束しない)
多くの人が勘違いしていることがあります。
それは、「成功」は決して「幸福」を約束しないということです。
先ほどから話題にしている競争世界は、主に「成功」に関連するお話です。
つまり、多くの人は競争に勝つことが「成功」であり、それはそのまま「幸福」に繋がると考えています。
「お金持ちであれば幸福である」
「社会的地位が高ければ幸福である」
「一般的に成功者と呼ばれる人は幸福である」
なぜか皆こう思い込んでいます。
現実は決してそんなことないのに。
少し考えれば分かることです。
お金持ちの人はすべからく幸福でしょうか?
成功者と呼ばれる人は皆幸福感の中日々生きているでしょうか?
社会的地位が高い人が皆幸福な顔をしているでしょうか?
確かに、資本主義のこの世界ではお金はあるに越したことはないです。
お金があることによって選択肢が増えることは当然ある。
ただ、別にお金があることがあなたの「幸福」を約束するとは言えないでしょう。
社会的地位も一般的な意味での成功者も同様です。(「幸福」であることを「成功」と定義しない限り)
是非、この記事を読んでいるあなたには明確に「成功」と「幸福」は別物だと理解しておいて欲しいと思います。
これは、非常に大きな違いなのです。
「成功」に固執して「幸福」を遠ざけている人のなんと多いことか・・・
もう一つ例を出しましょうか。
「成功」を基準にした世界は、競争の世界です。
それは分かりやすいスペック勝負の世界とも言い換えることができます。
”客観的により良いものが良いものだ”
婚活の世界は、この点分かりやすく相手の客観的なスペックをまずは評価し、その後実際に会って相性を見るという流れをとります。
当然ですが、結婚の相性は高年収であるとか医者であるというスペックでは決まりません。
長年連れ添う長期戦が前提の結婚であれば、穏やかな性格だとかお互いの価値観だとかトラブル時の折り合いの付け方だとか、育ってきた環境だとか、居心地の良さだとかの方が重要になることでしょう(自分自身結婚生活をしていてよく感じることです 笑)
このスペック評価をまずするという背景には「お金はないよりある方が良い」という合理的な競争世界の思想が非常に色濃く出ています。多少相手と相性が合わなくても経済的に豊かでさえあれば我慢できるという保険をまずかける戦略でしょう。
確かに、スペック評価、競争世界の基準は分かりやすいです。そして、その良さは多くの人に説明可能です。他人に選択の理由を合理的に納得させやすい。
一方で、自分の中の「幸福」を基準にした評価は人それぞれで曖昧なので明確な説明もしづらいことが多いでしょう。
相手が分かりやすい競争世界の評価基準(スペック)を備えていない場合なぜその人を選んだのか?を他人に納得させることは普通困難なはずです。
世の中には相手のスペックの高さのみを評価し、結婚をして失敗した人はごまんと存在します。しかしながら、彼ら彼女らは結婚前恐らく相手のそのスペックの高さから自分は勝ち組であり、幸福は約束されたと思ったことでしょう。
幸福は自分が決める
では、その肝心な「幸福」について。
多くの人は自分の中の「幸福」に鈍感になっています。
今回の記事で説明してきた通り、SNS世界を中心に世の中が競争や成功を持てはやす価値観に染まっていますので、自動的にその世界での勝ち組に入ることが自らの「幸福」であると勘違いしている人が大半を占めるはずです。
だからこそ、この記事で主張している様にまずは「成功」とあなたの「幸福」は別物であると認識することから始めましょう。
自分は何を大事にするのか?
自分は何を幸福だと感じるのか?
自分が譲れないことは何なのか?
自分が善いと思うことは何なのか?
自分が美しいと感じることは何のか?
どの様な死に方をしたいのか?
この様なことを自問自答することがスタート地点です。
競争世界のスペック勝負から離れて自分と対話すること。
人生の充実感や幸福というものは最終的に自分と向き合うことで決まります。
教育はいかに自分が幸福に近づくか?を目的に行うと良い
以上、資産や年収、学歴、社会的地位・・何でも比べる病の人は幸福度が低いかもというお話でした。
最後に教育についても少し。
現在の教育は基本的に「成功」を求める方向性が主流になっています。いわゆるエリート教育ですね。幼いうちから競争世界へ叩き込むスパルタ式が基本で親がレールを敷きます。
仕事柄、子供の教育・進路等の相談も出ますが、大抵思想としては「成功」基準の教育の話が展開され、その方向性での進路を考えている親が大半です。
しかし、収入は多いかもしれないけど嫌々働いている親の世代の実情を見て僕は思うのです。
教育は、子供のスペックを如何に引き上げるか?の方向性ではなく、”幸福を追求できる人間に育てる”方向性の教育を目指すべきではないか?と
テストの点数も大事かもしれませんが、それよりも笑顔の多さや、夢中になっている時間の長さ、そして興味の範囲の広さや本質的な問いかけをする回数などを基準に教育を行うと、その人の人生は良い方向に変わるかもなぁと思うのです。
それでは、また
「幸福」を考える基盤となる最低限の金融資産を築いたり、お金のコントロール能力を身につけたい人は記事したの無料E-bookをダウンロードしてみて下さい。