こんにちは、寺島です。
先日、初めて行った美容室で髪を切ってきました。
結論から言えば、「うーん・・・」という感想
もう行かないかな・・・
僕は、こういうサービスを受ける時、何か「提案」をして欲しいんですがそれがありませんでした。プロならばお客さんの御用聞きではなく、独自の提案をして欲しい。
長くなりそうなので「プロの提案」についての詳しい話はまた別記事で書きます。
Contents
金融リテラシーが高いと自称する人達は見えないコストを払っているかもしれない?
では、今回の世間で「金融リテラシーが高い」と言われている人は果たして幸せなのか?というテーマについて話していこうと思います。
この記事を読めばあなたは「別に金融リテラシーなんていらないかも」と思うことでしょう (笑)
ではまず、そもそも「金融リテラシー」とはなんなのでしょうか?
正直、僕もよく分かりません。
調べてみると、世間(主にネット)では様々な意味で「金融リテラシー」という言葉は使われているようです。
例えば
- クレジットカードをたくさん持って上手く利用している人
- ポイントサイトを上手に使っている人
- キャッシュレス決済の情報に詳しい人
- 各種ポイント関連(楽天経済圏やウェルシア、Pay系イベント等々)に詳しい人
- 何かしら投資を始めている人
- 投資信託の情報に詳しい人
- 株主優待に詳しい人
- 何かしらの配当金を得ている人
- 保険に詳しい人
- その他謎の投資話に詳しい人
- etc
・・・あれ?またよく分からなくなって来ましたね。
ポイントサイト利用と投資は繋がらないように思います。また、キャッシュレス決済に詳しいことと保険には何か繋がりがあるのでしょうか?
金融リテラシーってなんなのだろう?謎は深まるばかり・・・
次に、金融リテラシーが高いと言われている人達の特徴もざっと挙げてみようと思います。
- 保険嫌い
- 日々の支払いはキャッシュレス!(not現金派)
- 各種キャンペーン情報を効率的に収集し利用している
- 上記に付随して各種ポイント獲得に奔走
- 資産の一部で投資を始めている(優待・高配当好き、基本はインデックス、アメリカ株を何となく推している)
- 何に対してもコスパ意識が高い
- マンション(持ち家)を買う場合も、コスパ、資産性、投資視点という言葉を使う
- メルカリ等不用品の売買経験豊富(せどり、リセール、コスパ意識)
- そして、最後にこれらを実践してない人を見下す傾向(?)
・・・うーむ、少し輪郭が見えてきた気がします。
一言で言えば何にでも”コスパ”で見る人達を世間では”金融リテラシーが高い人” と呼んでいるのではないでしょうか?
コスパ・・
個人的にはあまり好きな言葉ではありません(笑)
彼ら金融リテラシーが高い人たちの言動を見るに、最終的には経済的自由・自立を目指しているように思いますが、過剰なコスパ意識の高さ・強さは、逆に無意識的にお金に縛られている人達のように見えます。
果たして「金融リテラシー=コスパ意識」とするなら、その金融リテラシーの高さはそれぞれの「人生の幸福」に繋がっているのでしょうか?
当たり前ですが、あなたも私も皆コスパのためには生きていないですよね?
皆、大枠では「幸福」になりたいがために日々生きているはず。
となれば、”金融リテラシー”はその人の「幸福」に繋がっていなければならない、と僕は思うのですがどうも世間を観察していてると「金融リテラシーの高さ→幸福」と直結してはいないように見えます
美意識が置き去りになっていないか?
確かに、「幸福」という言葉自体の定義がこの記事ではなされていません。
そして、厳密な「幸福」の定義をここで議論していくとものすごく長い記事になってしまうので、ここではその議論は割愛したいと思っています。
どこかの偉い人は言いました。
「極論、幸福は人それぞれの主観が決めるモノである。」
うん、説得力ある結論っぽい。
しかしながら、このような極論を無差別に発射した場合、そもそも各人の「幸福」について議論の必要すらないということにもなってしまいます。
ですから、そんな極論もこの記事では採用しません。(笑)
ではどうするのか?
この記事では以下の二つの条件が多くの人にとっての「幸福」に必要なのではないか?という仮説を提出してみたいと思います。
①「”お金に意識を縛られている状態”は幸福ではない」→最低限、お金に縛られていない状態が幸福
②「何か各人が美しいと感じるモノやコトに満たされている状態」
どうでしょうか?
恐らくあなたも、これらの条件を満たすことが自分の「幸福」には重要であると賛同してもらえると思います。
また、ここでの「美意識」には道徳とか善(あなたが良いと思うこと)とかも含まれます。
これは最近脳科学の分野で分かってきたことですが、人は「美しい」と感じる時と「善悪」を考える時は同じ領域が活性化していると言われていて、簡単に言えば「美しいものは善い」わけです(暴論)。
つまり、人としての自尊心や「お天道様に恥ずかしくないことをしよう」という意識も美意識に含まれるということですね。
分かりやすい事例で
「合法かもしれないが、自分の中の道徳に反するのでやらない」
「皆やっているけど、自分は格好悪いからやらない」
というのは、その人の美意識の現れと言えるでしょう。
”気持ちよく生きる”がそもそも人生の目的
上述の通り、いわゆる金融リテラシーの高い人は「コスパ意識」がとても強いと思われます。
その結果、全てをコスパで判断してしまうという罠にハマっている人も多いことでしょう。
「少しでも損はしたくない!」
「何かお得な方法はないか?」
「資産性のあるものしか買いたくない!」
「無駄が嫌い!」
とてもよく分かります!
ここまで書いてきた通り、今現在僕はあまりコスパを意識して生きてはいません。
しかし、僕は過去にゴリゴリのコスパ原理主義者だった時期があります。(笑)
「お得」「利回り」「プレゼント」「キャンペーン」「限定」「リセールバリュー」等々のキーワードが三度の飯より大好きで、少しでも有利な条件はないか?と常に気を配っていたあの頃・・・
しかし、ある時ふと僕は気づきます。
「なんか面倒くさい」「余裕がない」
と。
「キャンペーンの条件を満たすために、大して欲しくもない”余計なもの”を買ってしまう行為。」
「ポイントを使うために、利用できる店舗を探したり、利用できる商品を探す行為。」
「リセールバリューばかり気にして、本当に自分が欲しいモノではないものを買ってしまう行為。」
etc..
そして、日本古来からのありがたい言葉も頭に浮かびました。
「安物買いの銭失い」
何かが違う・・・
これは僕が目指す方向性ではない。
僕の「幸福」はこの先にはない。
金融リテラシーを上げることで、逆に”お金のこと”ばかりが頭の中を支配していることに気づいたのです。
少しでもお金に困らないように、お金が残るようになるためと金融リテラシーを上げたはずなのに、ずっとお金のことばかり考える習慣になってしまい苦しくなっていました。
「ポイントを漁り、それ自体が目的の卑しいコジキになっていないか?」
そんな言葉も頭に浮かびます。
僕もかつて、PayPay等のQR系決済サービスがリリースされた出した時に各種条件を満たしポイントをゲットするために色々奔走しました。
当初は、決済するだけでほぼ無条件に20%キャッシュバックがありましたが、徐々に「期間限定」や「お店限定」更には「商品限定」、キャッシュバック上限設定、各種登録をした上で購入等々、条件がどんどん複雑になり面倒になっていく・・
もうポイントを追うのをやめよう。これではキャンペーンの奴隷だ。本当に必要なものだけを買おう。
僕は思いました。
「もはや条件を確認すること自体が時間の無駄であり、ストレスなのだ」
更に
「金融リテラシーが高い自分に酔っていないか?」
他の人に対して「こんなお得な情報があるのになぜやらないんだ?落ちているお金を拾わないのか?コスパを考えないのか?」と上から目線で語っている醜い自分が頭に浮かびます。
そして、その後考えれば考えるほど
気持ち良く、自分が好きなもの、欲しいものを何も考えずに買ったり、コスパなど考えずに行動したりすることが自分にとっては本来とても重要で、それこそが自分の「幸福感」に繋がっていたのだという当たり前の結論が僕の中ではっきりしてきました。
これを読んでいる”金融リテラシーが高い”と自認する人にも思い当たる節があるのではないでしょうか?
あなたの人生における優先順位、本来の目的がどこか迷子になっていないでしょうか?
もし、心当たりがある人は、今一度立ち止まって自分の「幸福」な状態についてコスパを無視して考えてみることをお勧めします。
「お得」のコスト
「金融リテラシーが高い人は、知らないうちにコストを支払っている」というのが僕の今に結論です。
それは、端的に「安物買いの銭失い」的な金銭面、満足面であったりもしますし、常に頭の中をコスパで一杯にし、キャンペーン条件を考えたり、より優位な方法が無いか?と考える思考のコストもあります。
端的に言えば「面倒くさい」ことが増えるコストがバカにならないとも言えるでしょう。
それでいて、リターンはわずかな金額でチリも積もれば的なものが大半です。
そして、最悪なコストが前述のコスパ意識に頭の中が支配され、自分の「幸福」や本当に大事にすべきモノやコトが二の次三の次となってしまうというコストです。
これら金銭換算はしづらいけど安くないコストを知らないうちに沢山支払っていることに是非気づいて欲しい。
目先のコスパにそんな価値なんて無いですよ。
恐らく、あなたが知らないうちに支払っている金銭換算できないコストは得られた金銭的価値よりも大きいことでしょう。
金融リテラシー(?)なんかよりも「美意識」を持とう
確かに、あなたは今自慢の金融リテラシーのお陰で 有利な取引が出来るかもしれません。
そして、他の取引よりもお得な取引が出来たという達成感もあるかもしれません。
でも、それはあなたの美意識に沿った場合にも許容できるモノでしょうか?
- 相手の足元を見た極端に安い取引(サイト横断し最安狙いや店舗で交渉し最終的にネットで買うなど含む)
- 提供側が明らかに赤字覚悟で張っているキャンペーン(リスト取り目的にせよ)
- 無駄使いさせようと条件設定が厳しいキャンペーン
- あなたの大事な「共感」や「信用」を切り売りするような取引
- etc
あなたは逆の立場なら客にしたくも無いような卑しい顧客になっていないでしょうか?
あなたは気持ち良い取引ができる人間でしょうか?
素人なのに中途半端に知識を得て理論武装をし、ビジネス・取引の現実を知らずに相手に対する敬意を欠いた正論をぶつけてくる人間をプロは一番嫌います。
「じゃあ、お前の思った通り好きにやればいいじゃない」
これがそんな素人に相対した時にプロが思うことです。
その場合、あなたが得られる果実はたいてい「安かろう悪かろう」なものになるでしょう。
確かに安い(コスパ良く見える)かもしれませんが、実が伴っていないものを獲得している可能性が高いわけです。
理論武装して有利な取引を狙ったのに、結果的にコスパの悪い取引になってしまう。
実は、このような見えない歪みは至る所にあり専門家への敬意を欠いた素人は一番わりを食うのが常なのです。
もちろん、素人を取って食おうという業界、プレイヤーが跋扈する領域も世の中には多くありますので最低限の知識・理論武装も必要なのですが、付け焼き刃の金融リテラシー(コスパ意識)を振りかざしプロに対して敬意を欠いた態度を取ると最悪の結果を招く可能性があることは肝に銘じましょう。
当たり前ですが、取引を行う相手の裏には”人間”がいます。
合理的な話、正論ばかりで世の中は回っていません。
人間らしい関わり、敬意、生々しい人間関係、感情、道徳、等々が非常に重要な要素となる領域は思いの外大きいと考えましょう。
自分の中に美意識の軸を持つ。
「ルール上は許されているが、自分自信の美意識に照らして許せるのか?」
この意識は常に持っておきましょう。
例えば、去年話題になった「無限くら寿司」なんてものを美しいと感じる人は少数派だと思います。(笑)
確かにルール上は合法。
何もやましいことはない。
でも、ただで寿司を食べる自分自身を客観的に見てどう感じるでしょうか?
(僕は端的に「コジキかな?」と思いましたので、無限くら寿司には参加しませんでした。)
「自分の外で決められたルールではなく、自分自身が決めたルールで行動すべし」
合法であるか?とか関係ない
リセールバリュー(他者の評価)がとか関係ない
お得(他人からの施し)とか関係ない
断言しますが、自分の美意識重視で消費行動した方が絶対に「幸福」に近づきます。
間違ってもコスパ重視の消費行動ではありません。
そのコスパ意識は、あなたの人生のコスパを悪化させてるかもしれないと肝に銘じましょう。
以上、
これから「金融リテラシーを高めたい!」と考えている人、もしくは既に自分は金融リテラシーが高い!と自認している人に是非自覚して欲しい話でした。
冒頭で言及したように、イマイチよく分からないぼんやりしたイメージの”金融リテラシー”なんてものを高めることは正直コスパ悪いので、もっと”自分のこと””自分の幸福”について考えることに時間や思考を使った方が良いと個人的には思いますよ。
それでは、また